赤穗城
剧情简介
元禄十四年、五代将軍綱吉の時代であった。恒例の勅使、院使の御下向に対する接待役の一人に、五万三千石赤穂城主浅野内匠頭長短が選ばれた。長短は持前の潔癖から従来の悪習をきらって指導役の吉良上野介に賄賂を送らなかったため、色々な手違いをたしなめられ、その上、当日の殿中で手ひどい恥しめをうけたため、上野介に切りつけて果たさなかった。国元にある大石内蔵之助が長短の性格を心配して、家臣及び領民のため眼をつぶってこの大任を果たして欲しいという懇切な書状も、心ない側近のため長短の手には渡らなかったのである。切腹の寸前、長短はようやく内蔵之助の書面を読んで、領民あっての自分であったことを悟ったが遅かった。内匠頭切腹の報が国元へ到達した時、家臣たちは城を枕に討死を、いや上野介への仇討をと騒ぎ立ったが、大石内蔵之助は、浅野大学殿をお取立て願って浅野家再興を懇願のため篭城を... (展开全部)
元禄十四年、五代将軍綱吉の時代であった。恒例の勅使、院使の御下向に対する接待役の一人に、五万三千石赤穂城主浅野内匠頭長短が選ばれた。長短は持前の潔癖から従来の悪習をきらって指導役の吉良上野介に賄賂を送らなかったため、色々な手違いをたしなめられ、その上、当日の殿中で手ひどい恥しめをうけたため、上野介に切りつけて果たさなかった。国元にある大石内蔵之助が長短の性格を心配して、家臣及び領民のため眼をつぶってこの大任を果たして欲しいという懇切な書状も、心ない側近のため長短の手には渡らなかったのである。切腹の寸前、長短はようやく内蔵之助の書面を読んで、領民あっての自分であったことを悟ったが遅かった。内匠頭切腹の報が国元へ到達した時、家臣たちは城を枕に討死を、いや上野介への仇討をと騒ぎ立ったが、大石内蔵之助は、浅野大学殿をお取立て願って浅野家再興を懇願のため篭城をと主張する。その間に、不破数右衛門の如く、旧家の危急を知って駆けつける武士もあったが、城を脱走する人々も多かった。城明渡しの使者が到着し、その下検聞が旗本荒木十左衛門と榊原采女の両名で行われることになったが、内蔵之助はその時になって初めて自分の真意を明した。それは無条件に城明しの上、浅野大学殿のお取立てを懇願することであった。下検聞の二人の旗本に土下座してまでその取りなし方を懇願する内蔵之助の熱意に二人の武士も動かされ、よしなに取はからうと約束するのであった。こうして赤穂の城内は血を見ず、開かれたのであった。